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小田原その3

2008.08.09.Sat
遅くなりましたが小田原完結編。

という事で石垣山城に行ってきました。行き方と石垣山城についての案内は前回を見て下さい。

まずはガイドのおじちゃんに連れられて一時間程見て回りました。
大手門跡から北曲輪、見晴らし台へ。次は木々の隙間から井戸曲輪の崩れていない石垣を見、二の丸から少し険しい道を登って本丸があった場所へ。
そこに作られた見晴らし台からしばし説明を聞き、登って天守閣があった所、下って西曲輪を見ました。
そして最後に降りて大堀切から崩れていない南曲輪を見てガイド終了~。
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石垣
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それだけでは物足りない私たちはガイドのおじさんを捕まえて、「清正の石はどこですか!」
…分からないと言われたので、Nさん持参の本を片手に探しましたとも!
観光で登る道は大手門に向う途中で右に曲がるんですが、一応昔の道も残ってます。そこを一つ一つ石を覗き込みながらのぼり、南曲輪に到達。そこからまた右手方向に曲がって道が始まるんですが、その始まる辺りの右手にありました!!
見つけたのは一番見たがっていたNさんだからさすが(笑)
ちなみに写メだと字が潰れて見えません(泣)
加藤清正の名前は分かりませんでしたが、文字はちゃんとありました!

縦横違ってるけど文字が入っていた石
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そして最後にもう一度本丸にのぼり、必死に小田原城を探しました。
ちなみに私がここに来たかったのは、伊達政宗の為(笑)
ギリギリ小田原についた政宗は底倉にしばらく止どめられた後、ここで秀吉に面会したとか。
伊達政宗関係の話だと山場の一つですし、他の人がメインの話でもエピソードの一つとして出される事も多いですね。首を杖で叩かれたり、二人並んで立小便をしたり(笑)


 もう少し遅かったらと、首根ッ子を杖で叩きもした。
(中略)
 眉根を寄せて叱りつけて、それから二人は並んで崖下めがけて尿を放った。
(伊達政宗二/山岡荘八-より抜粋)

「いますこし、参着が遅れたなら、ここがあぶなかったぞよ」
 いいつつ、杖の先を政宗の頸へ差し当てたものだ。
(真田太平記三/池波正太郎-より抜粋)


大河でも太刀を預けて二人で小田原を眺めたんですよね。もちろんつれしょんも(笑)
残念ながら私は城を見つけられませんでしたが、ここに立つだけでも感慨深かったです。
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その後は小田原城を外から眺め、天丼を食べた後、小便小僧と劇的な出会いをして帰ってきました(笑)

……政宗を思い出した私には、あの小便小僧が余計にシュールでした(笑)
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自分でも忘れていた小田原日記

2008.07.07.Mon
七夕だけど曇っているので、下書きとかもやったくせにうっかり忘れていた二ヶ月前の真面目な小田原日記をアップ(笑)

まずは駅近くの氏政公氏照公のお墓にお参りしてから小田原城見学……のはずが郷土資料館の埴輪や縄文土器のげーじゅつ性(笑)語り。
特産品広場のはんぺんドッグ(値段のわりにはみっちりで美味しかったです)hanpen
で腹を満たし、北條五代祭を見学。
太鼓が良かったです。でも人垣が凄くて耳だけで楽しみました。
ちなみに五代祭とは北条早雲、二代目氏綱、三代目氏康、四代目氏政、五代目氏直を称えてお祭する祭です。
親子主従ですら争う戦国時代、北条一族は身内の結束が硬く、百年程平和に暮らしたそうです。お陰で当時は「西の山口東の小田原」と言われる程発展していたとか。ちなみに西が京都ではないのは、京都は度重なる戦乱で焼かれていた為との事(Byボランティアガイドさん)。
確か早雲は伊勢新九郎長氏(最近では盛時が通説とか)いう名前で北条を名乗る前に亡くなられたのですが、基盤を作ったのは彼なので初代になってます。
odawarajo



祭もそこそこに、小田原公園まで行ったのに、天守閣すら見ずにそのままバスへ。
ちなみに今回乗ってのは季節限定で観光名所を回ってくれる、「小田原宿観光回遊バス」というバスです。最初に200円払うだけでその日は乗りたい放題、しかもバスにはボランティアガイドさんが乗っていろいろ語ってくれる上、いろんな店の割引券までついてくるというお得さ。便利です。
目当ての所はこれがなかったら山を2キロ以上登らねばなりませんでした。
ちなみに小田原東口から出てます。各地の停留所は黄色い旗が目印です。


さて、本日のメインイベント、石垣山城(別名一夜城)です。
その前に簡単な説明を。
時は戦国末期天正十八年(1590年)、日本の殆どを従えた秀吉は、関東を支配する北条氏を倒す事にしました。
しかし内政が充実し、城としても堅固な上でかい(なにせ掘内の面積は大阪城より広い)は小田原城は容易に落とせません。何せ信玄、謙信も破れなかった程です。
そこで秀吉は得意技、兵糧攻めにもちこみました。20万の兵で小田原をぐるりと囲みました。
そして更にその目と鼻の先に城を築いたのです。
何万人も動員して作った城は、約80日でできあがりました。完了した所で、山の木を切り倒して見晴らしを良くしました。
小田原城から見ると、木で隠されていた城が一夜で現われたように見えたので、一夜城とも言われるようになりました。


…長くなったので実際の一夜城旅行記はまた次回に。

最後の最後で私たちの心を奪ったもの

2008.05.05.Mon
友人二人と小田原に行ってきました。
小田原城とか石垣山城とか祭りとかいろいろあったんですけど、〆のこいつにやられました(笑)

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親父に見えるけど、立派な小便小僧です。
でも昭和25年生らしいので、やっぱり親父かも。